柳井オートレース場(山口県)
1951(昭26)年〜1957(昭32)年
かつて山口県玖珂郡柳井町には柳井競馬場があった 県内の下関小月(おづき)で開催されていた下関競馬場(通称:小月競馬場)が 一時、連合軍に占拠され競馬開催ができなくなり その代替地として開催されたのが柳井競馬場(昭和21年〜24年)である 「小月競馬復活」の要望が強く、昭和25年に再開された その為、柳井競馬場はわずか4年の短期開催で閉場となった 1950(昭25)年5月27日:小型自動車競走法公布、施行され 同年8月9日:社) 山口県小型自動車競走会設立 柳井市は市の財政を建てる為、競馬場跡地でのオートレースの開催に踏み切った 1951年(昭26)年11月20日:柳井オートレース場開設 (山口県柳井市) 周長: 1、000m、幅員が規定の18m(規定20mの為、改修工事を求められる) 初回開催は5日間で行われ 平均の売上は190万円、入場者数は2880人 1955年(昭30)年9月22日:台風22号での堤防決壊によるレース場施設の全半壊などが痛手となる 正面と左右の堤防決壊のためオートレース場(敷地3万坪)の一面水浸し(水位4mにも及ぶ)となる その為 走路の両コーナー部バックストレッチは原型を止めないほど損壊、建物も 招待席、警察官詰め所、下見台、審判台、消防官詰め所なども全壊 大スタンド、投票所、競走会事務所などは半壊 浸水は一向に引かず10月12日になって応急処理により浸水を食い止めたが レース再開は極めて見通し困難であった 1956年(昭31)年:レースは再開されたが 決壊した堤防の本格的復旧工事のために柳井オートは休止を余儀なくされ 併せて地元柳井市がオートレース場を工業用地に転換する都市計画をたてたので それが 柳井オート廃止の引き金ともなった(業績も不振であった) 売上は平均しても200万に満たなかった、幅員の改修工事のための休止 選手不足の問題での休止 これでは売上も固定客も集まらず 苦肉の策で6枠制を5枠もしくは4枠などにして買いやすさを求め一進一退を繰り返す が 台風22号の被害での堤防復旧工事により休止 31年1月の再開後も 売上が100万を切るという最悪な事態となり休止 当時財政状態が悪く財政の立て直しにつとめていた山陽町に この柳井オートの移転の話がもちあがり議会は誘致を議決した 1957年(昭32)年10月6日:山陽オートに移転という形で休止(実質廃止)となる 1965年(昭40)年4月10日:柳井オートレース場に変わり山陽オートレース場が開設される 山口県柳井市 |